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霊園経営・管理 財団法人敬愛会

独鈷山霊園 祈りの丘公園

独鈷山からの眺めは、東は阿蘇山から西は雲仙までを見渡せる、非常に素晴らしい環境にあります。その中腹にある祈りの歴史に彩られた独鈷山霊園は、 1200年前から800年の間、この場所で祈られたお坊さま達の清々しい気持ちが伝わってくるような、そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい霊園です。

陽当りもよく風が心地よいこの霊園は、経営管理の主体である財団法人敬愛会の徹底した管理のもと、明るく清潔な、皆さまの魂の安住の聖地として永遠に続いていくことで しょう。故人への尊い気持ち、祈ることの大切さを感じさせてくれる霊園です。

独鈷山霊園祈りの丘公園から見渡す熊本市内。

独鈷山霊園の敷地内地図

独鈷山霊園では、ふれあいの森、展望台、自然の石庭、愛の泉など様々な自然や風景が楽しめます。

祈りの丘公園

経営管理の主体である財団法人敬愛会は、当時の修行(祈り)の場を聖なる場所とし、永久に保存し後世に伝えるため、子供達の情操教育の場として 60,000平方米に愛の泉、ふれあいの森、石造園、芝生広場、そして、展望台などを建設し祈りの丘公園とされました。山の頂上から東南西面360 度に近い眺望は、眼下に熊本の市街地、東方に阿蘇山、そして西方に有明海を望み、そのはるか向こうに雲仙普賢岳が見えます。又、春4月には 、8種類の桜の花が咲き乱れ、5月には、つつじ、さつき、そして6月には紫陽花等、四季折々の花が楽しめます。

独鈷山には千二百年の貴重な祈りの歴史があり、 そして今も尊いお坊様達の御霊が安らかに眠っておられる神聖な「祈りの丘」なのです。 お坊様の聖なる霊に抱かれながら永遠の祈りを…独鈷山霊園は、まさに「安住の聖地」です。

この度、独鈷山では永い間埋もれていた1200年の貴重な祈りの歴史がよみがえりました。今からおそよ1200年前、真言宗を始められた弘法大師様によって、多くのお寺が建てられ、そして大勢のお坊様達が自分の人生を仏様に捧げられ、一生独身で日夜修行に励んでおられた日本三大霊山のひとつであったのです。そして生涯を通してお寺や山頂の岩かげで修行され、なくなられたお坊様は山頂に埋葬され、その尊い数十万の御霊が今もこの独鈷山に眠っておられます。

独鈷山には様々な歴史と伝説があります。
独鈷山の由来

古くは妙観山と称せられていたこの山は、約1200年前、密教の法具の一つ「独鈷」が、空海の手によって、修業先である唐よりこの山の松の木の梢に飛来したことに由来する。この記述は空海が記すところのものではなく、あくまで伝説である。

空海、帰国後の足跡

唐で密教を学ばれて帰国後、空海は独鈷山を訪ねられた。そして、紀州和歌山高野山開山まで東長寺(福岡県)を中心に九州を巡られ修行された。

当時の修行装束

黒あるいは白の着物をベースに黄土色の袈裟を身に纏い、すげ傘をかぶり、金剛杖をついて各地を渡り歩いた。

我が国最古最大の霊場

120坊の修行庵(畳3丈程度)と、それと同数かそれ以上の修行僧が存在し、池辺寺を本山として修行が行われたとされる。このように1ヶ所に集まって修行を行うことは、密教としては特にまれである。滝に打たれたり、金峰山を歩いたりといった荒行も行われていた。

味生池(あじむのいけ)悪龍伝説

かつて、独鈷山、花岡山、金峰山で囲まれる三角地帯にあったというい味生池には、悪龍が住みつき人々に害を与えた。そこで池辺寺の住職(仙海)が、不動明王像を安置し、祈願したところ、池の水が沸騰し、独鈷が躍り出て、悪龍を追い払ったという。依頼独鈷をもって祈願すると、五穀豊饒が叶うといわれている。

空海の教え

地、水、火、風、空、識(六大)・・・・・・・ 宇宙の全存在はこの六大が融合一体となって現れているもので、仏の身体も衆生の生身も共にこの六大に他ならない。この真理に目覚めるのが真言の教えの根本であり、口に真理を唱え、心に仏を念じ、動作に仏を表すことによって、この身のそのまま成仏できると説く。

独鈷とは

真言密教の修法に用いる道具で両端が尖っている金剛棒。 僧侶の護身用の武器ともいわれている。鉄または銅で作られている。独一の信如法界と勇猛さを表す。

日野原重明先生が独鈷山祈りの丘公園に来園されました。

『独鈷山祈りの丘公園』を訪れて

日々原 重明


私たちは、桜と銀杏の並木坂をドライブして、十七世紀の初めに、加藤清正公により築かれた熊本城の天守閣を、右上に望む加藤神社の境内に降り立った。高い楠の老木の梢を透かして流れる薄い白雲は、秋の近づきを告げている。

私たちの車が、この城の外堀に沿って下り、坪井川畔を西方にしばし走ると、独鈷山の丘が見えてくる。ここは、おおよそ千二百年前に唐で密教を学んで帰日した弘法大師空海により、いくつものお寺が建てられ、ここでは、日本三大霊山の一つとして多くの僧侶の修行が行われたという。

幕末時代に長崎で、隠れキリシタンとしてカトリック弾圧によく耐えた燒リ仙右衛門の三男愛恵が、居を熊本に移した後、この地にキリスト教の信仰の種をまいた。愛恵の二男慶一は、十二人の子どもに恵まれ、男の子一人は神父に、六人の女の子はこぞってシスターに身を捧げ、その末子の燒リ光政は、父の石材業を継いで石の埋蔵するこの独鈷山を開発し、十九年の年月をかけ、三万坪の丘に「祈りの丘公園」の設立を果たした。

私たちは「祈りの丘」の緑のローンの斜面を登り、さらに熊本城の城壁に似せての「武者返し」の角度に石を積み重ねた展望台の石段を登っていくと、そこに展開される三百六十度の眺望は、なんと広大な絶景か。東には阿蘇山とその外輪山が。また、南には熊本市を貫く白川の流れが。そして西方には有明海を遥か彼方に雲仙の普賢岳がかすんで見える。

この展望台の正面には、パリで彫刻家として修行半ばの燒リ光政の三女の若き娘、基美子の創作になる「平和の祈り」の石造彫刻が高い石の台座の上に置かれてあった。平和の空に羽ばたく時を待って、まろやかに羽を広げる前の静が動に移る、飛び立つ構えの鳥の姿の石の彫刻。この大きな石像が夕陽に輝いている。私は西空に沈む夕陽を背に、彫刻の傍らに立って東を向いて立つ、私は和が影の長きに目を見張る。

ここ、祈りの丘公園展望台の平和の鳥の像は、カトリックのキリストと空海による真言宗の教えが一つに融合した信仰の微となって、ここに集う人々の心の中に受け継がれればいいとの思いに、私は暫し浸る。夕陽は沈み茜色に西空は輝く、私は、基美子の手に導かれてこの祈りの丘を下っていった。

夏の終わる九月一日の午後のひとときの心豊かな思い出よ。

日野原重明先生のプロフィール

1911年山口県生まれ。37年京都帝国大学医学部卒業。
現在、聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長、財団法人ライフプランニングセンター理事長などをされ、98年東京都名誉都民、99年文化功労者、2005年文化勲章を授与されました。
日野原先生は、早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護教育に尽力され、成人病と呼ばれていた病気について「生活習慣病」という言葉を生み出すなど、常に日本の医療の先端を走られ、98歳の現在も医師としての活動を続けておられます。これまでの著書は「生き方上手」など、200冊を超えています。


竜田霊園の地図

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