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『独鈷山祈りの丘公園』を訪れて
日々原 重明 |
私たちは、桜と銀杏の並木坂をドライブして、十七世紀の初めに、加藤清正公により築かれた熊本城の天守閣を、右上に望む加藤神社の境内に降り立った。高い楠の老木の梢を透かして流れる薄い白雲は、秋の近づきを告げている。
私たちの車が、この城の外堀に沿って下り、坪井川畔を西方にしばし走ると、独鈷山の丘が見えてくる。ここは、おおよそ千二百年前に唐で密教を学んで帰日した弘法大師空海により、いくつものお寺が建てられ、ここでは、日本三大霊山の一つとして多くの僧侶の修行が行われたという。 幕末時代に長崎で、隠れキリシタンとしてカトリック弾圧によく耐えた燒リ仙右衛門の三男愛恵が、居を熊本に移した後、この地にキリスト教の信仰の種をまいた。愛恵の二男慶一は、十二人の子どもに恵まれ、男の子一人は神父に、六人の女の子はこぞってシスターに身を捧げ、その末子の燒リ光政は、父の石材業を継いで石の埋蔵するこの独鈷山を開発し、十九年の年月をかけ、三万坪の丘に「祈りの丘公園」の設立を果たした。
私たちは「祈りの丘」の緑のローンの斜面を登り、さらに熊本城の城壁に似せての「武者返し」の角度に石を積み重ねた展望台の石段を登っていくと、そこに展開される三百六十度の眺望は、なんと広大な絶景か。東には阿蘇山とその外輪山が。また、南には熊本市を貫く白川の流れが。そして西方には有明海を遥か彼方に雲仙の普賢岳がかすんで見える。
この展望台の正面には、パリで彫刻家として修行半ばの燒リ光政の三女の若き娘、基美子の創作になる「平和の祈り」の石造彫刻が高い石の台座の上に置かれてあった。平和の空に羽ばたく時を待って、まろやかに羽を広げる前の静が動に移る、飛び立つ構えの鳥の姿の石の彫刻。この大きな石像が夕陽に輝いている。私は西空に沈む夕陽を背に、彫刻の傍らに立って東を向いて立つ、私は和が影の長きに目を見張る。
ここ、祈りの丘公園展望台の平和の鳥の像は、カトリックのキリストと空海による真言宗の教えが一つに融合した信仰の微となって、ここに集う人々の心の中に受け継がれればいいとの思いに、私は暫し浸る。夕陽は沈み茜色に西空は輝く、私は、基美子の手に導かれてこの祈りの丘を下っていった。
夏の終わる九月一日の午後のひとときの心豊かな思い出よ。 |